どこにでもいる或る男の日常

”何者でもない、だから何者にでもなれる”

レビュー・口コミとの付き合い方

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こんにちは。とものりと申します。

インターネットを使っていると、レビューや口コミを参考に物事を決めることが多々あるかと思います。今回は巷に溢れる他者評価について思ったことを書いていきます。

他人の評価は大事だが...

冒頭でも書きましたが、ネット上の他人の評価を目にするタイミングは非常に多いです。
グルメサイトや通販の星の数やレビュー数、エンタメ全般やアートに対する評価など、ネットの発達により良くも悪くも”批評家”たちが世の中に溢れています。かくいう僕も、音楽や映画などのレビューを、ブログやSNSに書いています。

基本的には、他者の評価をきっかけにするのは間違いないと思います。
何も知らない世界では、無闇にジタバタするよりも最短で求める結果が手に入る。何もできなかった赤ん坊も、親や周囲の環境からいろいろなことを学び成長します。

ただ、他者評価はあくまで「きっかけ」や「参考」にしかすぎないと思うのです。

大きすぎる他人の声

「百聞は一見にしかず」

結局これが真理だと思います。自分が実際に体験する以上の学びなんてありえない。

ところが、挑戦する前に与えられた情報でわかった気になってしまうことが非常に多い。

これは、僕自身についても言えることだと自覚しています。
実際に手足を使って体験する学び、感じることが一番大切だとわかっているのに、事前に下調べをしたせいで、体験を100%楽しめない、あるいは極論やらずに満足してしまうことってないですか?

これってすごくもったいないことだと思うんです。
失敗を繰り返して学ぶやり方は古いのでしょうか。失敗を回避する方法がかんたんにわかるからこそ、失敗に対する免疫が自分には足りてないなと最近感じています。
(まあ、既に自分の人生設計に失敗している僕が言うのも変ですが...)

所謂自己啓発本の類を読むと、考えるよりもパッションを持ってまず行動することが成功の秘訣みたいになってますが、他人の失敗をリサーチする手段に乏しかった時代にはそれしか方法がなくてすごく基本的なことなのではと思います。

まとめ

言いたいことがうまくまとまりませんが、情報をいともたやすく取れるようになったがために、逆に挑戦することに対してのハードルが高くなったと感じてしまうのです。
他人の追体験だけで満足してしまったり、失敗や批判により目がいってしまうという感じでしょうか。

それが世間で「さとり世代」なんて言われる由縁だと思いますが、今回は1996年生まれの僕が代表して思っていることを吐き出してみました。

さとり世代についても、もう少しうまく言葉にして書きたい。
何を考えているかわからないと言われるのも癪だったので一回挑戦してみましたが、もっと良い伝え方があればまた書いてみます。

 

以上、最後までご覧いただきありがとうございました。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します!

 

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